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睡眠の脳内メカニズム

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睡眠の脳内メカニズム

睡眠の脳内メカニズム

フォン・エコノモと睡眠中枢
古来、睡眠をもたらす体内のメカニズムについて、さまざまな仮説が唱えられてきた。たとえば、古代ギリシャでは、「心臓の温度が低下するために眠りが訪れる」というアリストテレスの説や、「食後、胃から立ちのぼる汚れた蒸気が脳の孔をふさぎ、そのために眠りが訪れる」というプラトンやガレノスの説が広く信じられていた。また、19世紀には、「脳内の血液量の増加が睡眠を引き起こす」という説が唱えられる一方で、逆に「脳内の血液量が低下するために眠りが訪れる」と主張する人々も現れた。
いったい、何が睡眠を引き起こすのだろう。体の中のどの部分が睡眠を調節しているのだろう。–この問題に対し、脳内に睡眠を引き起こす中枢があるのだという説を最初に打ち出したのが、コンスタンティン・フォン・エコノモである。
エコノモにとって睡眠中枢説を唱えるきっかけになったのは、「嗜眠性脳炎」の研究である。この恐るべき脳炎は俗に「眠り病」とも呼ばれ、20世紀初頭に流行した。その流行のようすは、オリヴァー・サックスの『レナードの朝』〔邦訳は石館康平・石館宇夫による〕にくわしい〔サックスはイギリスに生まれ、アメリカで活躍する神経学者・作家〕。この書物は、著者である神経学者サックスの筆力によって、読む者を引きつけて離さない。だが、患者にばかり焦点を当てているのは惜しまれる。つまり、フォン・エコノモについてほとんど言及がないのである。嗜眠性脳炎を命名・報告したのはフォン・エコノモだったわけだし、実際この疾患は「エコノモ脳炎」とも呼ぱれている。多方面にわたって才能を発揮したフォン・エコノモの生涯は、長編映画の素材ともなりうるはずだ。
フォン・エコノモは、1876年、旧オーストリア領トリエステのギリシャ系貴族の家に生まれた。語学の才に恵まれた彼は、子どもの頃から数カ国語に通じていた。当初、父親の意思に従い、ウィーンで技術・機械について学んだが、結局、医学の道をこころざすことになる。1901年、優秀な成績で大学を卒業した彼は、パリとミュンヘンで精神医学を専攻し、その修了とともにウィーンに戻った。ウィーンでは精神神経科の研究に従事し、そこで一生を終えた。
フォン・エコノモは、医学の分野だけでなく、飛行機操縦技術の面でもパイオニア的な存在である。1907年、オーストリアに飛行機がまだ一機として存在していなかった頃、彼は気球に乗って空を飛んだ。翌1908年、彼は長年の夢を果たした。すなわち、フランスで飛行機操縦免許を取得したのち、フランスからオーストリアまで飛行機で移動し、ウィーンの空を飛んだのである。
当然のように、フォン・エコノモはオーストリア初の空軍パイロットとなり、第一次世界大戦の軍務に服した。彼の主要任務は、アルプス上空における偵察であった。ところが、兄の戦死をきっかけに彼は軍を退き、ウィーンに戻って頭部損傷の治療・研究に打ちこむようになる。
フォン・エコノモが嗜眠性脳炎を命名・報告したのは、1917年のことである。1916年から17年にかけての冬、一連の奇妙な症状を呈する患者が続々と現れ、この脳炎は突如として流行した。フォン・エコノモが初めて患者に接したのは、1917年1月のことだ。症状として、高熱・幻覚・視力低下・嗜眠状態などが観察された。その後、時を置かずして、彼はさらに6人の患者を診察することになる。嗜眠性脳炎は多様な症状を呈するため、これら6人の患者に対するそれまでの診察結果は一様でなく、分裂病からパーキンソン病まで、さまざまな診断が下されていた。
フォン・エコノモの臨床医としての才能が発揮されたのは、まさにこのときである。彼は、複数の患者に共通する要素を即座に見抜き、1917年5月、論文として発表した。その中で、彼はこの疾患を「嗜眠性脳炎」と命名したのである。彼は、この疾患の患者に共通して見られる症状として、重度の睡眠障害を指摘した。具体的には、数週間から数カ月にもわたって嗜眠状態が続いたり、逆に、完全な不眠状態におちいったりする。そして、場合によっては、そのまま死をむかえる。
嗜眠性脳炎は世界中に広がり、死亡者数は10年間で500万人を超えた。ところが、1927年、この脳炎は、流行し始めたときと同じように、突如として姿を消してしまった。その理由は謎につつまれている。
嗜眠性脳炎は、患者の眠りに対して、じつに重大な影響をおよぼす。たとえば、患者の約3分の1は長期にわたって眠り続ける。眠っている患者を起こすことは不可能であり、大半の患者は眠ったまま死をむかえる。逆に、正反対の症状–すなわち完全な不眠に苦しむ患者もいる。また、何年も眠り続けた後で、突如として目ざめるケースも少数ながら観察された。まさに、リップ・ヴァン・ウィンクルのような状態といえよう〔リップ・ヴァン・ウィンクルは、アメリカのW・アーヴィングが書いた「スケッチ・ブック」中の短編小説の主人公である。彼は20年間眠り続けたのちに目ざめた〕。
先に紹介したオリヴァー・サックスは、慢性病患者のための入院施設において、やはり嗜眠状態におちいった患者を診察し、「エルドーパ」と呼ばれる化学物質を投与した。その効果はまさに劇的で、患者は長い眠りから突如として目ざめたのである。まさに、魔法の杖の一振りであった。ただし、この患者の予後はかんばしくなく、サックスはエルドーパによる治療を中止せざるをえなかった。副作用が強すぎたのである。
フォン・エコノモは、嗜眠性脳炎によって死亡した患者の脳組織を詳細に研究し、その結果、どの患者にも、脳に特徴的な病変が観察されることを発見した。つまり、嗜眠性脳炎のせいで睡眠障害におちいった患者の脳は、かならず同じ部位に病変が認められたのである。その部位とは、視床下部とその周辺であった。
視床下部は、物質代謝など、自律神経のコントロールにかかわる中枢である。嗜眠状態におちいった患者の場合、視床下部後部に病変が認められ、一方、不眠に苦しんでいた患者の脳は、視床下部の前部に病変が認められた。
そこでフォン・エコノモは、これらの部位は睡眠をコントロールする中枢ではないかと結論した。そして、その中の「睡眠中枢」の能動的な働きかけによって、睡眠がもたらされると考えたのである。つまり、睡眠の際に生じる変化–神経学的な変化、生理学的な変化、行動の変化–は、すべて睡眠中枢によって能動的に引き起こされると予測した。さらにフォン・エコノモは、睡眠中枢が活性化されるメカニズムとして、覚醒時に体内で蓄積される特別な「化学物質」の働きを想定した。つまり彼は、「外部からの感覚情報経路が断たれるために睡眠中枢が活性化する」という可能性を否定したのである。
フォン・エコノモが想定した化学物質は、今世紀初頭、フランスのアンリ・ピエロンら名づけた物質と同義である。また、ピエロンたちの実験とほぼ時を同じくして、日本の石森国臣も独自に実験を行ない、同様の結論に達している。つまり、ピエロンたちも石森も、動物の体内には眠りを引き起こす物質が存在するのではないかという観点から実験を開始し、最終的に同じ結果を得たのである。偶然ながら、いずれも実験材料はイヌであった。彼らは断眠させたイヌから脳脊髄液や血清、脳組織などを採取し、起き
ている健康なイヌに注射した。すると、この健康なイヌは、たちまち眠りに落ちたのである。彼らは睡眠を引き起こすこの体内物質を、「睡眠毒素」(ピエロンら)、「催眠性物質」(石森)と呼び、脳内にこの物質が蓄積されると睡眠状態に入り、物質が分解されると目が覚めると結論した〔石森の実験は1909年に日本語で発表されたまま埋もれていたが、1984年に日本の井上昌次郎博士が国際学会で紹介して以来、内外で広く注目されるようになった〕。
フォン・エコノモは、石森の実験結果はもちろん、ピエロンらの実験についても知らなかったようだが、彼は、睡眠中枢のおもな役割は、脳全体が睡眠毒素によって中毒におちいらないよう防ぐことだと考えた。というよりも、フォン・エコノモによれば、睡眠毒素の分解こそが「睡眠」そのもののいちばん重要な機能であるという。そして、いったん毒素が分解されてしまえば、眠りは終わると予想した。
同時にフォン・エコノモは、習慣や学習という要素も睡眠を左右する大きな要素となりうることを認めていた。というのは、べつに体が疲れていなくても、つまり毒素がなくても眠たくなることはあるし、逆に、睡眠毒素の分解が完了する前に、自分の意志で眠りを中断することもできるからである。
フォン・エコノモの研究よりもずっと後のことになるが、シャム双生児の眠りから明らかになった事実がある。観察の対象となったシャム双生児は、循環系を共有する体のつくりになっていた。にもかかわらず、けっして同時に眠ったり、同時に起きたりするわけではなかった。ということは、体内の特定の物質が血液によって脳まで運ばれ、そこで睡眠中枢を活性化するという仮説、つまり、体内の特定の物質が睡眠を引き起こす主要因だとする仮説は、シャム双生児の観察によって否定されたことになる〔ただし、著者から訳者への私信によれば、このシャム双生児がもつ2つの脳は、催眠物質に対する感受性がまったく同一だったとはかぎらないという〕。
睡眠毒衆説は一応否定される格好となったが、睡眠中枢についてはその後も実証的な実験が進められていった〔ただし、最近になって、多数の睡眠物質が実験によって発見されている〕。だが残念なことに、フォン・エコノモ本人は、その後の睡眠中枢研究の発展を知ることはできなかった。睡眠研究の分野で科学的な実験や観察が行なわれるようになるよりも早く、フォン・エコノモは、睡眠中の心臓発作によって死亡した。1931年のことであった。

ブレメーとヘスの業績

脳に睡眠中枢が存在するというフォン・エコノモの報告は、当時の脳科学者を大いに刺激した。数多くの研究者が、フォン・エコノモの指摘した睡眠中枢を解剖し、研究に取り組んだ。中には眠り病を人工的に引き起こそうとした研究者もいたが、これは思うとおりにはいかなかった。
ところが、ハンス・ベルガーによって脳波が発見されたのち、1930年代も終わりをむかえる頃になると、脳波記録のテクニックは数多くの研究者によって活用されるようになった。その結果、脳の研究法や観察テクニックに革命的な変化が生じた。すなわち、実験動物の行動を調べる以外に、脳の活動状態を知る道が開けたのである。要するに、脳波を観察することによって、眠っているのか、起きているのかが、客観的に判断できるようになった。
とはいえ、観察した結果が、いつも正しく解釈されるとはかぎらない。たとえば、ベルギーの神経生理学者フレデリック・プレメーは、フォン・エコノモの研究を詳細に検討した上で、動物の大脳と脳幹を切り離す実験を行なった。すでに、脳幹と脊髄の連絡を断つ実験は行なわれていたが、大脳と脳幹のあいだで切断を試みたのは、プレメーが初めてである〔脳には「大脳1脳幹1脊髄」という神経路が存在する。神経路を切断した脳を「離断脳」と呼ぶ〕。
実験の結果は、プレメーにとって意外なものであった。麻酔の効果が切れると、動物はたちまち睡眠状態におちいったのである。つまり、脳波をふくめ、あらゆる面で睡眠に酷似した状態が観察されたのだ。これは、脳幹と脊髄のあいだで切断を行なった場合–すなわち、大脳と脳幹はつながったままで、外部から切り離された状態–とは、まったく逆の結果を示している。というのも、脳幹と脊髄のあいだの連絡を断てば、動物は不眠状態におちいるからである。
実験後何年も経ってから、プレメーは次のように述べている。すなわち、解剖学的な見地から実験結果を眺めれば、大脳の覚醒状態を維持する上で重要なメカニズムが脳幹部に存在する、と結論すべきであったというのである。つまり、プレメーが脳幹を大脳から切り離したことで、この覚醒維持メカニズムも切り離されたと考えることができる、というわけだ。
ところが、実験当初のプレメーは、睡眠は受動的に生じるという考えにこだわっていた。つまり、外界からの感覚刺激が脳に届かなくなると、受動的に睡眠状態に移行すると強く信じ込んでいたのである。したがってプレメーは、大脳と脳幹を切り離した動物がたちまち睡眠状態におちいったのも、感覚器から運ばれてくる情報が大脳に届かなくなったからだ、と推論した。
だが、プレメーの実験から10年以上経って、大脳の覚醒レヴェルをコントロールする特別なメカニズムが、脳幹において発見された。このメカニズムは、外部からの感覚刺激の有無とはまったく関係なく、覚醒状態を維持することができるのである。
さて、フォン・エコノモは、20世紀後半に脳科学が成しとげた大進歩を目のあたりにすることなく亡くなってしまったわけだが、彼の著作を読むと、スイスの生理学者ヴァルター・ルドルフ・ヘスの初期の実験についてはよく知っていたことがわかる。ヘスは1881年に生まれた。フォン・エコノモより5歳年下である。彼は医学の道をこころざし、1905年に大学を修了した。その後、眼科の診療に従事したが、やがて仕事の単調さに嫌気がさし、チューリッヒ大学生理学研究所の研究職に転じた。ヘスの研究は、血圧調節や消化器系の機能など、脳による自律神経系の調節機構を解明しようというものであった。彼は、脳による調節機構を調べるために、ユニークな技術を開発した。すなわち、非常に微細な電極針を動物の脳内に挿入し、ごくかぎられた部分にのみ電気的な刺激を与えるという技術である。このテクニックを使えば、動物を麻酔で眠らせる必要はない。また、動物はケージの中で自由に動くことができる。ヘスは、この実験技術を駆使することで、脳のどの部分を刺激すれば、どういう反応が見られるかについて、詳細かつ正確な研究を可能にしたのである。
たった7人の患者を診察しただけで嗜眠性脳炎の存在を見抜いたフォン・エコノモとは違って、ヘスは25年もの長きにわたって実験を繰り返した。1949年、彼は長年の研究成果をまとめて発表した。その結果、生理的調節機構としての脳の役割を解明した業績が評価され、同年、ヘスはノーベル生理学医学賞を受賞した。
ある論文の中で告白しているとおり、ヘスも初めは睡眠にさほど興味をもっていたわけではなかった。ところが、実験を繰り返すうちに、電気刺激によって動物が眠ってしまうケースを何度も目撃することになり、睡眠現象に関心をいだくようになったのである。また、彼の母親は不眠症に苦しんでいたし、ヘス自身も同じ症状の持ち主であった。こうした事実もヘスが睡眠に興味をいだくきっかけとなったのではないかと考えられる。
ヘスは、「生物における脳の構造」という論文で、次のような実験結果を記録している。
実験番号180。1935年5月一5日。人に慣れたネコ。電極針を挿入しても変化は認められない。電圧をIボルトに設定し、30秒間通電したが、無変化。ところが、ニボルトで30〜45秒間通電すると明確な変化が現れる。さらに、同じ条件で通電を2〜3度繰り返すうちに、ネコは典型的な眠りの姿勢で眠ってしまった。通電中でも、そのまま眠ってしまうのである。瞳孔は最小の大きさとなり、その行動は普通に眠っているネコと寸分違わない。
このとき、電極針が挿入されていた部位は、まさにフォン・エコノモが「睡眠中枢」として指摘した、視床下部の前部であった。
だが、ヘスが先鞭をつけた研究はそれ以上深まることはなかった。その後、ヘスはスイスにおける生体実験反対運動に身を投じる。この運動は積極的に推進され、最終的に勝利をおさめることとなった。
死にいたる不眠症–視床の役割
近年、睡眠との関連で「視床」が注目を浴びつつある。卵のようなかたちをしたこの部位は、大脳の中心部に位置し、感覚器から届いた情報を大脳皮質の感覚野へ伝える。つまり、感覚情報の中継点として重要な役割をになっている。この視床という部位が、睡眠現象に大きくかかわっているというのである。
視床と睡眠との関連を最初に指摘したのはヘスである。ところが、レム睡眠とノンレム睡眠を制御するメカニズムが脳幹部で発見され、今度は誰もが脳幹部にばかり注目するようになった。そのせいで、視床についての研究は最近まであまり大きな展開を見せなかったのである。
睡眠調節の座としての視床が大きく注目されるようになったのは、ポローニャ大学のエーリオ・ルガレージの研究による。彼は、臨床研究を通じて視床と睡眠の関係を見抜いた。彼が診察したのは、会社経営にたずさわる53歳の男性である。この男性は、徐々にひどくなる不眠に苦しみ、ルガレージらの施設を訪ねた。不眠とともに便秘がひどくなり、また、自律神経の機能9進も認められた。たとえば、多量の発汗や、心拍数・血圧・体温の上昇といった症状が観察されたのである。発症後何カ月か経つと、とうとう完全な不眠状態におちいり、覚醒状態の中にときおり鮮明な夢幻状態が交じるようになった。人と接する時間も徐々に減り、とうとうこの男性は死をむかえた。発症後9ヵ月目のことであった。なお、彼の父親も2人の姉妹も、似たような症状と経過をたどって死亡した。
不眠が徐々にひどくなり、やがてまったく眠ることができなくなる–この病気の進行のようすは、嗜眠性脳炎と同様、非常にショッキングなものである。病名は「致死性家族性不眠症」であり、その名のとおり、やがて死にいたる。驚くべきことに、ルガレージが診察した男性、その父親、そして2人の姉妹の脳を解剖した結果、4人とも、視床前部に重度の病変が見つかった。とくに、そのうち2人の病変は、ほぼ視床のみに限定されていたため、ルガレージらは、視床前部は睡眠をコントロールする上で重要な役割を果たしていると結論した。のちに、この病気は遺伝性の疾患であり、発症すればかならず死にいたることが医学的に証明された。
また、ルガレージらの臨床研究は実験データからも裏づけることができる。たとえば、睡眠が始まったことを告げる「睡眠紡錘波」だが、この脳波は視床から発生することが実験的に確認されている。

覚醒中枢の発見

レム睡眠の発見と同様に、「覚醒中枢」の発見もまったく偶然によるものであった。発見者は、イタリアのピサで活躍した神経生理学者ジュゼッペーモルッツィとアメリカのホレス・マグーンの2人だが、もともと彼らは、覚醒中枢を研究する意図などまったくなかったという。
彼らの当初の目的は、小脳から大脳皮質の運動野へとつながる神経回路を調べることであった。そこで彼らは、電極針を脳幹に挿入し、小脳と大脳皮質の中継点と思われる部分に刺激を与えてみた。すると、脳波に強い覚醒状態を示す波形が現れたのである。これは2人にとっても意外な結果であったと思われる。このとき、電極針が挿入された部位は、大脳に感覚情報を伝える神経経路とはべつの場所だったので、彼らは次のように考えた。すなわち、電極針が刺激したのはまったく未知の神経回路であり、この神経回路の興奮によって大脳皮質全体が活性化されたのではないか。つまり、この神経回路は大脳皮質の特定の部分を活性化するのではなく、その全体を活性化する働きをもつのではないか。
彼らは、さっそく観察結果の検討にとりかかった。この現象がモルッツィとマグーンの2人によって発見されたのは、まさに幸運なことであった! というのも、マグーンは睡眠に関する脳内メカニズムを研究した経験の持ち主で、脳幹部のかなりの領域が自律神経系と関連をもっていることを承知していた(当時、神経生理学者にとっても、脳幹はまったく「未知の領域」であった)。一方、フレデリック・プレメーのもとで神経生理学を学んだモルッツィは、脳波記録のテクニックに通じており、睡眠状態と覚醒状態を判断する上で、脳波記録を活用するすべを熟知していた。
1949年、モルッツィとマグーンは論文を発表した。彼らは自分たちの発見を次のようにまとめている。
「網様体(彼らは自分たちが電極針で刺激した部位を網様体と名づけた)に刺激を与えると、大脳皮質に興奮が生じ、脳波に変化が生じる。すなわち、高振幅の徐波(遅い波)が姿を消し、低振幅の速波が出現する。ただし、脳波に変化が生じるといっても、感覚神経への刺激が興奮を引き起こしたわけではなく、あくまで網様体への刺激が大脳を興奮させたのである。ただし、網様体を実験的に刺激することによって生じる大脳の興奮状態そのものは、自然状態での刺激(聴覚刺激や接触刺激など)によって生じる大脳の興奮状態と区別することができない。ここで注目すべき点は、脳幹に存在する網様体が活性化されているあいだは覚醒状態が維持されるという事実である。網様体の活動は自然に低下することもあるし、薬物や疾患、あるいは外科的な影響によって低下することもあるが、いずれにせよ、網様体の活動低下にともない、生体は睡眠状態に移行したり、嗜眠状態などの病的な状態におちいったりする」
彼らの研究によれば、網様体は、2方向の情報経路を統合・制御するシステムである。つまり、末梢から脳へと上向する感覚神経路から情報を受け取ると同時に、脳から末梢へと送り出される運動神経路からの情報も受け取っている。このシステムによって、網様体は情報の伝達スピードを速めたり、遅くしたりすることができる。
では、いったい何が網様体をコントロールしているのだろうか。つまり、何が網様体の活動を低下させ、睡眠状態を引き起こしているのだろうか。この点に関して、少なくとも2つの独立したメカニズムが関与していると考えられる。

脳の断面図

脳の断面図


 
まず第一に、すでに紹介したように、視床下部の睡眠中枢があげられる。この部位は、神経経路によって網様体と結ばれている。睡眠中枢は、この経路を通じて、覚醒中枢である網様体の活動低下をうながし、睡眠を引き起こす。
第2の睡眠中枢は、脊髄と脳幹を結ぶ部分に認められる。この中枢は、1949年、モルツツィの研究室にいたヨハナン・マグネスによって発見された。当時マグネスはまだ若い学生であったが、のちにイェルサレムのヘブライ大学教授に就任している。この睡眠中枢は、脳幹の下部に位置するのだが、この部位に電気刺激を与えると、網様体の活動は抑制され、動物はたちまち眠りにおちいる。また逆に、この部位を破壊すると、今度は完全な不眠状態におちいる。
以上2つのメカニズムのうち、どちらが優先的に働くのかはわからない。いずれにせよ、その働きを受けて、視床の睡眠調節機構が活性化すると考えられている。そして、活性化した視床は睡眠紡錘波–睡眠の始まりを告げる脳波–を出現させるのである。

レム睡眠をコントロールする中枢

何が眠りを引き起こし、何が覚醒を維持するのか–本章では、その脳内メカニズムについて述べてきた。
では、レム睡眠やノンレム睡眠など、眠りの各ステージは、どのようにコントロールされているのだろうか? この点に関しても、かなり研究が進められている。ただし、その脳内メカニズムの発見は、やはり偶然による部分が大きい。
かつてミシェル・ジュヴェは、ロサンジェルスの脳科学研究所でホレス・マグーンとともに研究を行なった。ジュヴェが研究者としての道を歩み始めた頃のことだ。この時期、ジュヴェはアメリカで研究生活を送っていた。やがてジュヴエはフランスのリヨンに戻る。当時の彼のおもな関心事は、学習の基本的なメカニズムであり、その脳内の座をつきとめることであった。
ジュヴエは、学習メカニズムの研究にあたって、なるべく余分な情報を排除するために、ネコの大脳と脳幹を切り離し、その状態で実験を行なった。つまり、プレメーと同様のテクニックを用いて脳に手を加えたのである。ところが手術を受けたネコの体は、30〜40分ごとに、完全な弛緩状態におちいった。この状態は、一回につき、5〜6分続いた。もちろん、外部から何か刺激を与えたりしてはいない。ジュヴエにとって、この現象は意外なことだったにちがいない。そして、この「麻捧状態」にあるネコの脳を調べると、脳幹の「橋」の部分から、高振幅の鋭い波が発生していることが明らかになった。また同時に、ネコのヒゲには痙拳するような動きが観察されたという。
じつは、大脳と脳幹を切り離すという実験は、今世紀前半、数多くの研究者によって繰り返し行なわれてきた。したがって、ネコの「麻揮状態」を目撃した研究者は、けっして少ない数ではないはずだ。もちろんプレメーも気がついていたことだろう。だが、そうした研究者がすべて、ジュヴエほどの強い関心をもって麻揮状態について考察したわけではない。しかもジュヴエは、生来の鋭い洞察力によって観察結果をくわしく分析した。
当時、すでにアセリンスキーとクライトマンによって、人間におけるレム睡眠が発見されており、また、動物にもレム睡眠に似た状態が観察されることがデメントによって報告されていた。ジュヴエは、大脳と脳幹を切り離したネコの麻輝状態を目のあたりにして、即座に、これはレム睡眠に相当するものではないか、と考えたのである。この仮説は、次の2つの実験・観察によって裏づけられることとなった。
まず第一に、普通のネコの眠りを観察すると、やはり体がぐったりする「麻揮状態」が認められる。その際、脳波を調べると、橋の部分から高振幅の鋭い波が観察された。しかも、橋に鋭い波が現れると、大脳にはレム睡眠によく似た脳波が出現し、急速眼球運動や、四肢の痙摯やヒゲのふるえが起こる。まさに、デメントがネコの逆説睡眠として報告した状態が、橋における鋭い波の発生とともに生じていることが明らかになったのである。
第2に、正確な外科手術を用いて、ネコの脳幹の側部、すなわち橋を切り取ると、麻蝉状態が見られなくなり、それにともなう身体変化も観察されなくなってしまった。ただし、この手術は、逆説睡眠以外の眠りに対しては影響を与えない。これらの事実からジュヴエは、ネコの逆説睡眠をコントロールしているメカニズムは、脳幹の橋に存在すると結論したのである。
レム睡眠をもたないY・H氏のケースを先日紹介したが、そこで述べたとおり、Y・H氏の脳幹部には爆弾の破片が残っていた。しかも、その部位は、ジュヴエがネコの逆説睡眠中枢として指摘した部位と正確に一致していたのである。したがって、人間のレム睡眠も、ネコの逆説睡眠も、脳幹部の同一の部位によってコントロールされていると考えてまちがいないだろう。
のちにジュヴエは、当時開発されたばかりの実験テクニックを駆使して、脳内の化学物質の状態について調査した。その結果、彼がレム睡眠をコントロールしていると予測した部位は、ノルアドレナリンとアセチルコリンという神経伝達物質に富むことが明らかになった(神経伝達物質とは、神経末端から分泌され、次の神経細胞に神経インパルスを伝える化学物質である)。また、その近くに「縫線核」と呼ばれる神経細胞群があり、ジュヴエはこの部位がノンレム睡眠を制御しているのではないかと考えた。さらにジュヴエは、この縫線核がセロトニンという神経伝達物質に富むことを報告している〔ただし、神経伝達物質をペースとしたジュヅエの仮説は、一応「歴史的役割を終えた」と考えられている〕。

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